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魔法使い Dr.コトー診療所2006〈8〉 

幸福への決断

今回はいい意味でも悪い意味でも重い病を治療するときに「闘病環境」が与える影響について考えさせられるエピソードでした。ゆかり(桜井幸子)のケースがとりあえずああいう結末を迎えたことについて、なんだかヘンな意味で誤解する人がいないといいんだけど…。そのためのコトー(吉岡秀隆)の「ちょっと、疲れました」なんだとは解ってるつもりではありながら。

Dr.コトー診療所2006」はフジテレビ系で木曜22:00から放送中。

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たまたまこの前石垣の民宿で一緒に泊まっていた地元で仕事してる考古学者?のにいさんたちが飲んでました。度数60°ということで香りをかいだだけでかなり、きますw 与那国の泡盛というと「どなん」が有名だけど。もう少し体調がよかったら、一緒に飲みたかった。


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で、鳴海先生(堺雅人)、電話のガチャ切りはいけないと思いますw 以下ネタバレ。
なんだかコトーと剛利(時任三郎)、ベストフレンド状態ですなぁ。こんな感じでお互い、鑑賞しすぎることなく、でも隠し事ナシで本音を語り合える人が身近にいる、っていうのは後述しますけど小さな島では貴重な存在だと思います。

抗がん剤治療をスタートさせたゆかりは酷い吐き気と戦いながら闘病を続けます。みかねたコトーは自宅へ帰宅しての療養を指導……。

相変わらず志木那の人たちは早耳だけじゃなくて「早目」ですよね。コワイ。診察にやってきたおじぃから「相当悪いと聞いていたのにこの前外で洗濯物を干していた。だいじょうぶか」と情報が。例によっていつもの茉莉子(大塚寧々)の店でランチをバクバク食っている漁協のみんなも情報交換には余念がありません。

無口な努さんの「治ると、いいのにな」っていう一言が重い。

そして、ゆかりの

「1日いちにち、すべてがいとおしい」という言葉も。前回のタイトル「命の期限」が見えてしまった人にしか言えない言葉だと思います。

ほほー、さすがに血液検査は本土に送らないとダメなんだね、って思っていたのもつかの間、コトーはゆかりの腫瘍マーカーが劇的に下がっていることに驚くのでした。

それで鳴海先生にお電話してみるんだけど…。

「医学の常識ではあり得ない。抗がん剤が効いて一時的に症状が落ち着いているだけ」

と斬っただけでなく

「その人も君の『家族同様』の人なのか」
「島の医者はタフだな」

と嫌味を吐いてのガチャ切りです。

そして再度の血液検査、内視鏡検査でも症状は明らかに改善しているようで、坂野さん(大森南朋)とゆかりのふたりから懇願され、もし播種(転移して散ったガン細胞)が残っていたら同じことで、徒にゆかりの命をまた削るようなことになる、と躊躇していたコトーは再手術に踏み切りました。

アメリカの医療ドラマとか見てると、がんって落ち着いていても回復して空気にあたった瞬間に文字通り「散ったり」することもあるようなのでドキドキでした。

結局本当に抗がん剤が効いていて、元の病巣を切除することが可能だったようで、医学書などを読んで直前まで悩んでいたコトーはまた別の悩みに直面してしまっていました。

それを救う形だったのがゆかりからの「先生がいつもそばにいてくれたから」のひとことだったように思います。

鳴海とコトー、彩佳(柴咲コウ)とゆかり、都会と島、といったことがいろんな意味で対比されていたと思うんだけれど、離島の現実はもっともっとうんと厳しくて

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「スーパージェッター」、ならぬ「スーパードクター」(コトーはすでにその領域に明らかに入ってきてる感じだけどw)も、魔法使いもいないんですよ、シゲさん(泉谷しげる)……。

この前友だちから酸素吸入すら「専門外です」と言って拒否したらしい某離島のお医者さんの話を聞いたばかりですが、「市」である石垣市ですら突然の大きな病気の場合は本土(沖縄本島・那覇)送りになり、自衛隊のヘリが要請を受けて那覇から飛んできて、石垣について那覇の病院まで搬送されるときにはもう手遅れなケースも少なくないと今回聞き込んできました。

まして、その先の離島となると、まず海上保安庁のヘリが石垣空港からその離島まで飛んで、石垣で自衛隊に引き渡して自衛隊が那覇まで、ということになるのだそうで、ヘリの中でお産した人とかいるそうですよ……。

今回、沖縄バブルの最先端の石垣から戻ってきたばかりなので特にそんな風に思ったのかもしれないですが、特に「末期がん、もって3カ月」とか言われたりすると、人間だれしもありとあらゆる可能性を試したくなるものです、本人もそうだけど特に家族。

都会の大病院では担当医が「ついててくれる」などという状態は不可能であるのはもちろん、細かいフォローなどもできないのはもちろんですが、沖縄で環境を変えて治療したら…みたいな話はホントに夢のような話ですから。

今回はゆかりが島の人であり、家に帰ったことが精神的な支えにもなり、そして、抗がん剤が効いた(同じ抗がん剤を同じ症状の患者に投与しても効く人効かない人がいる)、という幸運が積み重なっての「奇跡」…。

コトーが医者って何だろうと悩むのは当然だけれど、地方では基本的な医者不足の問題などもあるので、短絡的な考えをする人がいないといいなぁ、としみじみ思わずにはいられませんでした。

[過去のレビュー、その他]
コトー人気としか考えられない@石垣空港
「命の重さ」 Dr.コトー診療所2006〈7〉
海へ Dr.コトー診療所2006〈6〉
低気圧 Dr.コトー診療所2006〈5〉
豊漁祭 Dr.コトー診療所2006〈4〉
移住 Dr.コトー診療所2006〈3〉
絆 Dr.コトー診療所2006〈2〉
分岐点 Dr.コトー診療所2006〈1〉

コメント

この世知辛いご時世ですからね~

Lady-eさん、どもどもです。

まったくおっしゃる通りだと思います。緩和ケアとかも日本ではごく最近出てきたことばだし、放射線治療を受けられる病院も少ないし、これだけがんで死ぬ人が毎年たくさんいるのにどうしてなんだか治療のクオリティが上がっていかないんだろうなんて思う今日このごろです。

そういうところには鳴海先生みたいな「医学的常識」の壁があったりするんだと思うけど、転地=goodとも必ずしも限らないし、難しいところではありますよね。

ただがんに関して父をみとった経験からいくと、やっぱり
1.あきらめた瞬間、食い散らされる
2.負けないと信じる、周囲(特に家族)がもり立てること

この2点(裏表になると思うけど)がとにかく大切だと思います。うちの父はどこかであきらめちゃったんだよね。だから、早かった……。ゆかりさんはあきらめようとしなかったっていうのがきっと大きいんだろうと思ってます。

実際さ

鳴海じゃないけど・・・
コトー先生1stLookであんだけ唖然とする
状態だったのに、播種がすっかり消えてるって
いう状態があったとしたら
そりゃ悩むよね・・・
っていうか 実際そいうことはありえるんだろうか?
もし、ありえることなら
メンタルケアとかも含めて 考え治療の一環として
研究等も含めて、力を入れていくべき事柄だよね

毎日がいとおしい
確かに明日をリアルに感じないと
分からない事柄かも
でもさぁ
これって治ってしまうと
忘れがちでもあるから
ゆかりさんには、忘れず 毎日幸せ感じて欲しいなぁ

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Dr.コトー診療所2006 第8回

Dr.コトー診療所2006 第8回余命宣告をされたゆかりさん(桜井幸子)だけど残された命を少しでも長くできるよう治療を開始しました。抗がん剤の激しい副作用にも耐え生きるために頑張る彼女に点滴の時以外は自宅で過ごしえみますか?と一時退院をコトー先生は家族で一緒に居
  • [2006/12/07]
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  • ALBEDO0.39 |