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めぐみ Abduction:The Megumi Yokota Story 

〈2006年 米制作 85分 おすすめ度★★★〉
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「ピアノ・レッスン」などで知られるジェーン・カンピオンがエグゼクティブ・プロデューサーとして参加し、インディーズ系の映画祭で高い評価を得た長編ドキュメンタリーです。我々日本に住んでいる者たちはそれこそ横田さんたちの命を削るような日々の活動によってある程度この「拉致事件」の輪郭を知っているわけですが、全く知らなかったカナダ人たちがこの問題を斬るとこうなりました、というお話。

めぐみ、お母さんがきっと助けてあげるめぐみ、お母さんがきっと助けてあげる
横田 早紀江

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北朝鮮による日本人を含む外国人拉致は明確に「事件」ですが、これが「(拉致)問題」となると非常に政治的になり、その腐臭といってよいものがそこはかとなく漂ってくる作品に仕上がっていました。外国人の眼から見れば「なるほど」という動きがこちらとしては「なんでやねん」的になったりもしますし。

以下、感じたことを。
最初に断っておきますが、横田滋さんと早紀江さんおふたりの活動はいつも見ていて本当に心を打たれます。ここまで娘を愛することができる、そのふたりの原動力は何なのか、ということ。

それほど熱心に拉致についての報道を読んだり観たりしていない(ドラマになったものなどは、パスしていた)自分には、早紀江さんがキリスト教に救いを求めていたこと、そして滋さんがそれに対して懐疑的であることが非常に新鮮でした。

同様に、報道のなかであhいつもツーショットでお互いがお互いを支えるようなカップルである滋さんと早紀江さんが、通訳を介してのインタビューで表現の正確さに関してちょっと諍うような場面も出てきたりして日本のメディアでは見ることができないものである、と感じました。

というわけで基本的に横田さん夫妻への視線は暖かく、そして胸打たれるものであったことはまったく否定しません。

やっぱり、その周囲なんですよね………。日本のニュースでは例えば自民党本部に向かって「バカヤロー!」とか叫ぶ様子とかはあまり報道してないと思いますが、誰が仕切ってこういうことをさせてるのか、とかやっぱり考えずにはいられない。

つまり「事件」を「問題」として政治的なものにすることによって潤う人がいて、横田さんたち拉致被害者家族たちの「想い」がなんとなく汚されてゆくような、改めてそんな感じがしました。

あとはもう「認識」の問題なんだけど、自民党前で抗議している横田さん達の横を石破茂衆議院議員が黒塗りに乗って出ていくと入るともなくナレーションだか背景だかに「石破さんはこの問題について頑張ってくれている」って聞こえてくるとか。

「最後までコメ支援に反対した吉田六左エ門議員」とテロップが出ていかついおっさんが映ります。この人は新潟1区、つまりめぐみさんが拉致された新潟市を選挙区とする衆議院議員です。長いこと大物の国会議員がいて県議会議員どまりだったため、いつも朝、新潟のシンボルでもある万代橋(ばんだいばし)の上で朝立って車に向かって手を振ってました。

いまは拉致議連のメンバーでもあるようですが、元新潟にいた人間としては、なんかすごく唐突でかつビミョーなんですよね、このおっさんの出演は。

家族会のメンバーである増元照明さんが選挙に出たいきさつにも、似た違和感を感じました。築地でマグロの仲買人であった増元さんが広い事務所をかまえ、選挙に出て、敗れる。選挙速報が流れるテレビ映像で、敢えて辻元清美の落選の弁の映像が流れる。

増元さんは怒る家族会の代弁者として「社民党と共産党の人は何か言うことあったら言ってください」と発言する。これまた日本の通常メディアではあまり流れない映像かなぁ、と感じました。

たぶんね、監督やプロデューサーたちは、こうした細かいところは「日本的な映像」であればなんでもいいんだと思うんですよ(汗)。

それが証拠に、背景にかかる音楽が超ステレオタイプJapaneseな「ひょろろろ~ん」みたいな尺八の音だったり「デンデンデデンデンデン」みたいな和太鼓の音だったりするわけですから。

もちろん、最初にこの拉致事件をスクープしたのが産経新聞であるため、監修はそのあたりだろうと思われるし、BBCとともに、フジサンケイグループあげて映像の提供をしていたりもしますのでそのあたりも考えて観ないといけないとは最初から覚悟はしてたんですけど…。

私は北朝鮮や中国共産党と長い間親密な関係にあった社民党(日本社会党)や共産党を別に支持しているわけではありません。でも、なんとなくそういう個別の政治団体への攻撃のようなものが「ドキュメンタリー」のなかに挿入されているのを見るとちょっと作為を感じてしまうんですよね。

めぐみさんの同級生だった人が、めぐみさんのために歌った歌の挿入や、めぐみさん自身が小学校の卒業式で歌った「流浪の民」(シューベルト)のソロ部分の物悲しい響き、そして家族が惜しげもなく提供したたくさんのめぐみさんの写真など、強い印象をもって伝わってくるものは多々ありました。

日本の一般マスコミのようにオブラートに包まず、帰国した蓮池薫さんたちがなぜ口をつぐんでいるのかはっきり説明していますし、あまり映ることのなかった増元さんのお父さんや地村さんのお母さんの亡くなる前の痛々しい姿は過ぎ去った年月の重みに厚みを加えています。

特に拉致された当日の様子を早紀江さんが語る場面や、この20数年を振り返る淡々とした語り口には、母の愛を圧倒的に感じたことには間違いのですが……。

ホントに、別の意味で難しい映画だと思いました。そして、ジェーン・カンピオンをもってしても、日本のイメージは田んぼが広がる田園風景に「ラストサムライ」のサントラみたいな音楽がかかる感じなのかと。

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